29.見知らぬ誰か
成田空港のパーキングには、雨ざらしになったまま放置されているクルマが常時数台はあるという。
帰国するはずの持ち主が現地で失踪してしまい、結果的に長期の無断駐車となっているのだ。
「よくあるんですか、こういうこと?」
「たまにね。年に1、2回。他の駐車場や、電車やリムジンバスで来る客の場合も考えると、いったいどれくらいの人間が行方知れずになっているんだか」
「どう思う?」
「何が?」
「だから、こんな人間たちのことさ」
「…なんて答えていいかわからないな」
「日本に戻るよりうんと楽しいものを、その場所でみつけたんだろう」
「なるほど」
「そいつらは、幸せだな」
「どうかな」
「幸せだよ。たいしたことのない毎日だが、それでもおれには、今の生活を放り出してまで手に入れたいものなんて、想像もつかない」
「見つけるまでは、誰にだってわからない」
「わからなくていいね、そんなもの。今更知りたくもない」
誰しもがそんな生活に耐えていけるわけではない。
~垣根涼介【午前三時のルースター】~
見知らぬ誰かを思って涙できますか?どうもこくとーです。
事故に虐待、自殺に殺人。連日ニュースでは凄惨な事件が報道されている。いつの時代にも争いや不幸な事故は起こっているのだろうが、それは我々の生きているこの世界でも同じなようだ。
先日ニュースをぼんやり眺めていたら、自殺する若者が急増しているという特集をやっていた。家庭の事情から交際破綻、果ては将来へのぼんやりとした不安という明治の文豪チックな理由まで様々あった。
果たしてこれは遠い世界での出来事だろうか。
我々は日々テレビや新聞で誰かの不幸を目にしている。「自殺するなんてアホらしい」、「なんて可哀そうな」、「生きていればいい事あるのに」など無責任な、それでいて至極まっとうな感想を口にしたりもする。
対岸の火事…と言ってしまえばそれまでだ。確かにテレビや新聞で目にする物事の多くは遠い世界の出来事であり、見ず知らずの人の不幸は我々にとって遠い世界の出来事でしかない。
だが親しい友人がある日突然亡くなったらどう思うだろうか。
日々目にする「遠くの世界の出来事」は起こりうる現実である。日本において年間の失踪者は3万人を越え、自殺者も若者を中心に増加の一途を辿るという。
大衆は娯楽に飢えている。乾いた生活に潤いを与えたいという願望があるからこそ、人は凄惨なミステリを好んだりもする。人は遠い世界の出来事だからこそ、虚構の世界と感じるからこそそれを娯楽と捉え、そして楽しんでいるのだろう。
では我々が日々ニュースで目にする事件や事故は果たして西村京太郎ミステリと何が違うというのだろうか。それが遠い世界の出来事である限り、やはりそれは我々にとっては娯楽に過ぎない。
当事者になってみなければわからない痛みを想像して涙するべきなのだろうか。
無責任な傍観者として他人の不幸をあざ笑うべきなのだろうか。
願わくば貴方がその当事者にならんことを。
じゃ、今日はこの辺で。